オルヘイウ・ベキ
8月 5, 2019

チラスポリはモルドバ共和国の二番目に大きな町である。この町は公式に認知されていないトランスニストリアの首都と行政機関のある町だ。チラスポリはドニエスター川の東岸に位置している。この町は家具や電化製品で有名になっている。

 

チラスポリは1792年にアレクサンドル・スヴォーロフというロシア帝国の軍人によって建設された町である。毎年10月14日に町の建設日が祝われている。

 

古代

 

紀元前6世紀にチラスはギリシャのミレトスによって作られた。この町はチラス川(現在のドニエスター川)から約10キロ離れている。紀元前2世紀にこの居住地は先住民族の王様たちの土地となった。紀元前50年には、ゲタイ民族によって破壊された。

 

56年にローマ人はチラスを再建し、モエシアと併合した。そのため、チラスの昔の硬貨にはドミティアヌス、またはセヴェルスアレクサンダーという王様の顔が使われていた。
ゴート族の侵攻によってチラスは再度破壊された。硬貨に写っている碑文で判断すると古代、チラスの人々は主に小麦とワイン、魚の貿易で生計を立ていた。

 

チラスは何度も再建されたため、古代から残っている遺跡は少ない。チラスは中世時代にタタール人とモルダヴィア人の緩衝地帯であった。

 

建設

 

ロシア帝国はオスマン帝国の領地を取り、ドニエスター川まで拡大した。1792年に西側の国境を守るため、ロシア軍はスクレイアというモルダヴィアの村の近くに、いくつかの要塞を建設した。そのため、チラスポリの建設者はアレクサンドル・スヴォーロフ軍人だと言われている。古代に建設されたチラスというギリシャの居住地が町の名前の由来となっている。

 

1828年にロシア政府は密輸を抑えるようにチラスポリに税関を設立した。この税関はオデッサ税関地域に所属しており、最初に14人の税関職員しかいなかった。この税関職員はパン、紙、油、ワイン、砂糖、果物などの品の出荷を検査していた。

 

ソビエト連邦のチラスポリ

 

ロシア革命後、1924年にウクライナにモルダヴィア自治ソビエト社会主義共和国が建国された。公用語としてルーマニア語、ウクライナ語、ロシア語が話されていた。1929~1940年の間、チラスポリはモルダヴィア自治ソビエト社会主義共和国の首都となった。

 

1940年に独ソ不可侵条約によってルーマニアはソビエト連邦にチラスポリを含むベッサラビアを譲り渡した。その後、1941年8月7日に枢軸国の侵入後、ルーマニア軍はチラスポリを占領した。占領当時、チラスポリはルーマニアに管轄されていた。その頃、チラスポリのユダヤ人は殺されてしまったかナチスの強制収容所に収監された。

 

1941年、チラスポリの占領前に、「Dnestrovskaya Pravda」と言う新聞が出版されていた。この新聞はチラスポリ地方のもっとも古い定期刊行物となっていた。1944年4月12日にチラスポリは左翼系団体の行動により、再びモルダヴィア自治ソビエト社会主義共和国の管轄となった。

 

独立後

 

1990年に国民投票によってチラスポリはモルダヴィア自治ソビエト社会主義共和国から独立した。その時、隣のベンデリという町もモルドバから独立した。

 

1990年9月にチラスポリはトランスニストリアの首都となった。チラスポリは公式に認知されていない共和国の首都だったが、ソビエト連邦のアナトリー・ルキヤノフなどの政治家によって支援された。