モルドバ共和国
8月 11, 2019
cluj napoca
クルジゥ・ナポカ
8月 11, 2019

モヒリーウ・ポジーリシキー

Mohyliv-Podilskyi

モヒリーウ・ポジーリシキーはドニエストル川の左岸、ヴィーンヌィツャ地方に位置する町だ。川の反対側にあるオタチという町と橋で繋がっている。モヒリーウ・ポジーリシキーの名前は1595年に初めて公式の書類に使われた。町の所有権を持っていたのはイェレミア・モヴィラで、彼は自分の娘が結婚したとき、彼女にモヒリーウ・ポジーリシキーの所有権を授けた。

 

1917~1920年の間、ウクライナの独立戦争のころ、モヒリーウ・ポジーリシキーで多くの戦闘が繰り広げられた。1919年6月、赤軍はウクライナ国立共和国軍と戦い、モヒリーウ・ポジーリシキー周辺で敗戦した。

 

第二次世界大戦のころ、モヒリーウ・ポジーリシキーはルーマニアとドイツの軍に占領され、この町で多くのユダヤ人が殺された。ブコヴィナとベッサラビア地方から追放されたユダヤ人は、強制収容所に向かうためモヒリーウ・ポジーリシキーを通過する必要があったが、55,000人のユダヤ人の中で在留カードを得たのは2,000~3,000人だけだった。戦争を生き残ったユダヤ人は1945年にルーマニアに戻った。

 

モヒリーウ・ポジーリシキーのもっとも人気のある観光地は、1754年に建立された聖二コラエ大聖堂と、1809~1819年の間に建立された聖ゲオルゲ教会だ。